こんにちは〜。新卒1年目で適応障害になり休職、その後退職した人です!
今回は適応障害で休職してから会社を退職するまでの過ごし方や身体の回復などについて時系列でお話ししていきます!
私自身、体調を崩し始めてから療養中も「どうしよう、これからどうすればいいんだ」とずっと不安でした。
検索すると一般論は出てくるけど、具体的な体験談は意外と少ないなぁと思ったので書いていきます。(あと自分の記録として)
回復の傾向や辞め方は人や会社にもちろんよりますが、私の場合はこうだったよってことで参考にしていただけると嬉しいです!(^_^)v
会社を休職するまで
4月にIT企業に入社→2ヶ月新入社員研修→6月に部署配属されました。
新入社員研修は割と楽しかったのですが、部署配属ガチャに負けました。多分それが始まりです。
正直、これは超仕方のないことです!!!/(^o^)\私だけが行きたくない部署に入ったわけじゃないし、選ばれたってことは向いてるのかもしれないから頑張ろうと思ってました。
でも興味ない仕事を勉強し続ける苦痛と上司からの期待あっての厳しさに心がついていかなくなっていき、7月頃には病み始めます。
年末頃には残業も増えてきて、同じ部署の先輩が会社に来なくなったり同期が1人脱落したりもあって、さらに私の病みは加速。
リフレッシュのために年末年始11連休くらいとりましたが、ふとした時に連休が明けることの恐怖に震えていました。
年が明けた後も相変わらず仕事つらいし、2年目の始まりにある1年目成果発表会的なのもめちゃくちゃ嫌すぎて、本当に毎日つらかったです!!!
ちなみに症状はこんな感じでした。
そんなこんなで頑張っていた1年目の3月、仕事帰りに彼氏が最寄り駅まで迎えにきてくれたのですが、近くのコンビニで嘔吐。
社会人になってから吐くことは何度かあったのですが、彼氏の前ではじめてやってしまってめちゃくちゃ心配させました。彼氏、嘔吐恐怖症だからほんとビビったと思うごめんね…
「あ〜もう限界」って感じで彼氏のすすめもあって、翌々日に会社を休んで心療内科に行きました。(超泣きながら)
ボロボロな日もあれば割と元気な日もあったから、自分が異常なのかよくわからなかったです。今思うとこの時点で病院に行っておいて本当によかった。
会社を休職することを上司に連絡
結局、心療内科で「適応障害」と診断を受けて休職することになります。
その日のうちに休職したいことを上司に連絡したのですが、連絡するまでがめっちゃ大変でした。
「なんて言おう。どうしよう。」でパニックになり、多分電話をかけるまでに3時間くらいかかりました。就業時間ギリギリ。
なんとか伝えたら上司には「気付いてあげられなくて申し訳ない」と言われてめっちゃ泣きました:;(∩´﹏`∩);:
ハラスメントを受けていたわけでもないし成長できる職場だったので、上司にこんなこと言わせて申し訳ないし、こんな良い環境で挫折する自分は圧倒的にゴミでは?!ってなりましたね。当時は。
そんなわけで翌日から休職に入ります。「とりあえず1ヶ月経ったらまた連絡するので今はゆっくり休んでください」と言ってもらい、めちゃくちゃホワイト企業で感涙。
休職期間の過ごし方や回復まで
ここからは休職に入り、退職を決めるまでの5ヶ月間をつづっていきます。休職に入ってからは2週間に1回心療内科に通いながら、回復に向けて過ごしていきました!
休職1ヶ月
いじめられていたわけでもなくて周りはむしろ優しい人達だらけ、成長できる職場、すぐに休職させてくれるホワイト企業っぷり…
なのに頑張れなくなった自分が不良品に思えてめちゃくちゃ責めてました。落ち込みまくり。ほぼほぼ家に引きこもってました。
実は休職前は涙が出るということはなかったのですが、休職を決めてからはなにかのリミッターが外れたのかよく泣いていました。
休職1ヶ月経つ頃、部長から健康状況についてメールで連絡が来たのですが「なんて返信しよう…」でうじうじ泣きながら小一時間停止しました。笑
今思うと、そのときはコミュニケーションもうまくとれない状況でしたね。ちなみに休職延長をお願いしたメールはこんな感じです。
ご連絡いただきありがとうございます。大変なご心配とご迷惑をおかけしており、申し訳ございません。
近況報告ですが、生活リズムを整えることを第一に自宅療養に励んでいる日々です。
最新の受診結果としましては、主治医より休職延長の必要があると診断を受けております。申し訳ないのですが、もう少しお休みをいただきたく思っています。
たったこれだけの文章でも頭が働かないくらいだったんだな〜〜。
その後、元々いた部署からは一旦配置転換することになりました。部長や上司とは連絡を一切取らず、会社の産業医さんと連絡を取ることになります。
どうしてつらくなってしまったのかは部長とも少し話していたのですが、産業医さんとの電話面談は第三者にじっくり話す機会。
緊張したけどすごく優しくて、めちゃくちゃ泣きながら話しましたね。やっぱりもう少し休んだほうがいいねってことで休職延長します。
1か月休んだ頃は全然元気にならなかったです。むしろ今までよく仕事行けてたなと思うくらい心も体もしんどかった
休職2ヶ月
2か月目に入ると、傷病手当がもらえることや今後は産業医さんを通して全ての手続きや連絡が行われることを知って安心します。
何をされたわけでもないけど、やっぱり元々いた部署の先輩や上司、または知らない人に連絡をしなきゃいけないのは当時の私の精神的には負担だったので…
そういった心配がなくなったことで、しっかり休んで自分と向き合う時間をとれるようになります。
「職場が悪いわけでも自分が悪いわけでもなく、ただ職場と合わなかったんだから仕方ない」ということを受け止め始めますが、寝るときに突然泣きまくったりとそう簡単には心がついていかない日もありました。
これからどうするかということを考えられる状況じゃなかったので、まだ休職を延長することにします。
元々は楽観的な性格で、ここまで落ち込んだことはなかったから何しても元気が出ない感覚が怖かったです。意外と重症だな?!と思いました。
休職3ヶ月
この頃にはアニメを見たり出かけたりすることが楽しいと感じるようになり、泣くこともなくなりました。
それまでは動画を見ても内容に集中できなかったり音がうるさく感じたりしてあまり見られなかったんですよね。あとはたまにお出かけしても、心のどこかで悲しさがあって100%楽しい状態ではなかったので。
さらに心療内科の先生から少しずつ頭を使うようにとアドバイスを受けて、ブログもちょこちょこ書くようになってました。
なので私は「もう適応障害治っちゃったわ。でも絶対働きたくないな。これってただの怠け状態じゃん。心療内科の先生や産業医さんになんて言おう…なんか気まずいな〜」などと悩み始めます(^_^;)
ですがさすが先生。面談時のお話し中に「無理してないですか?焦らなくて大丈夫ですよ。もう少しお休みしましょう。」と言ってもらったところで私は大号泣しました。笑
情緒不安定ですね。もう元気なはずなのになんとなく心が治りきってない自分を受け入れられず焦ってたっぽいです。もう治ったって自分に言い聞かせて、不安に気付いてないフリしてたのかな〜〜。
余談ですが、砂糖をとりすぎると落ち込みやすくなるらしいと知って、この時期からゆる砂糖断ちを始めました。アウトプットとして記事にまとめてますのでよかったら↓
>> コーラ1本でアウト!砂糖の摂りすぎはマジで体に悪い理由を図で解説
3か月は焦りの時期でした。確かに回復しつつはあったけど、今思うとおやすみを延長してもらってありがたかったです。
休職4ヶ月
「私もう超元気!」と「あ〜もう私は一生何もできない無理」をささいなことで繰り返してましたが、前半は落ち込み多めでした。
前月の面談で、自分では治ったと思ったのにやっぱりまだ私はダメなんだということを思い知らされたのを勝手にひきづってたのもあるかもです。
産業医さんとの電話面談も慣れてきたと思ったら、前日の夜に怖くて眠れなくなったり、ブログを書いていたけど集中できなくていきなり泣いたりとかもありました。
こういう時は仕方ないので「焦るな焦るな」を合言葉に、泣く時は泣く、できない時はできないしそれを否定しないようにすることにしました。
するとなんだか後半からだんだんと元気になってきました(*゚▽゚)ノ笑
心療内科に行くのもつらくなくなってきて(緊張はする)、外出たついでに外食やお買い物するのが楽しみになってきました。
きっかけは特にわからないです。参考にならずすみません。ですが、会社でのつらかった記憶が薄れてきたのがこの頃だったような気がします。
「自分が悪いのではなく、ただ合わなかったから仕方がない」「これもいい経験だ」と心の底から思えるようになってきました。
ただ不安定になるのが心療内科に行くときや産業医さんと連絡を取る前後が多かったのもあって、会社はやめてしまった方が良さそうだなと思い始めます。
そこで退職を考えていることを産業医さんにお話ししましたが、まだ不安定な日がちょこちょこあったのでゆっくり考えることにして休職は延長しました。
4か月は回復期。前半は一旦ボロボロになったけど、それを乗り越えた後半からは元の自分にだんだんと戻ってきた感覚がありました!
休職5ヶ月
もうかなり元気になりました。ブログも集中して書けるようになってきて、イライラすることも急に不安になることも減りました。
身体的にはかなり回復しましたが、もう一度同じ仕事ができるかといったらそれは別問題です。出勤することも電話に出ることも周りに人がたくさんいることも…あの環境には何もかも耐えられないと思いました。
あと会社に復職する夢を何回か見たのですが、あのときの不安感や呼吸がそのままよみがえってきて超悪夢だったんです笑
なので会社は退職することに決めました。
このまま休職を続けて傷病手当金をもらい続けることもできたのですが、復職ができないのにずっと在籍し続けるのも会社と連絡を取らなきゃいけないのも精神的につらかったので。
退職を決めた時はメールで伝えました。休職1か月の頃は、体調報告のメールをするのにもうじうじしていた私ですが、普通に送ることができました笑
メールはこんな感じで、あとは産業医さんには本当にお世話になったので感謝の気持ちを伝えました。
体調は少しずつ回復しておりますが、主治医との相談および私自身の気持ちとして、環境を変えるためにも会社を退職させて頂きたくご連絡いたしました。
今後の職場環境向上のためかなんかで適応障害になってしまった理由とか辞めることを考え始めた時期とかを電話面談で改めて伝えなきゃいけなかったのですが、やはり思い出すとつらくてめちゃくちゃ泣いてしまいました。
トラウマって感じですね。たぶん新入社員1年目のあの日々のことは、いつまでもつらいんだと思います。
それは仕方のないことと受け止めて、乗り越えるのではなく逃げる方針にすることにしました!三(U ‘-‘ )
考える時間や回復する時間を取れたので、退職をする前に休職をはさんで本当によかったと思います。
適応障害で退職。今後について
退職してからの進路は特に決まっていません。そうです。ニートです。٩( ‘ω’ )و
もう十分休んだだろって感じですが、ゆったり暮らしたいので落ち着いたらバイトでも始めようかなって感じです。
親が悲しむかもしれないし友達には見下されるかもしれないし社会不適合者かもだけど、それでも今はこれが生活しやすいので。
ただ、このブログは楽しいのでこれからもマイペースに続けたいなと思っています。
私が伝えたいこと
最後に私が伝えたいことを、と言うと大袈裟で恥ずかしいのですがまとめを…
私が休職に入ったのは入社して11ヶ月のことでした。新入社員研修の時は全然つらくなかったので、体調を崩すほどつらくなったのは配属されてからのたった9ヶ月です。
これしか働いていないですし、会社や病院のサポートもあったのに、私の場合は回復するのに半年近くかかりました。
もちろん回復にかかる時間は人によります。ですが正直、私にとっては予想以上に長かったです。手強かったです。
今までの人生、割と楽観的に明るく生きてきた私がこんなことになるなんて思ってもなかったです。
ずっとずっと我慢して働いている方は、その疲れ切った心と体を癒すのにとても時間がかかってしまうかもしれません。
なのでどうか無理をしないで、この記事がひとつの体験であるように身近な人の「俺も最初はつらかったけど3年働いたらもう大丈夫だよ〜頑張れ!」の言葉もひとつの体験だということを忘れないでくださいね。
周りの言葉を頑張る理由にしなくていいんですよー!どんな選択肢が正解になるかは自分が決められるので、どうするかは自分で決めて大丈夫です。
自分で決められない時は私みたいに好きなだけ休めばいいと思います。休職期間延ばそうか悩んでいるなら、今後どうするか決まるまで休み続けていいと思います。
実際私は、数ヶ月お休みをもらって結局は退職を選んでよかったと思います。全然後悔していません。
お金も仕事もなくて大学の同級生に比べたら超崖っぷちですが、会社で働いていた時よりもとても幸せです。
やっぱり心身ともに健康が第一ですね。皆さんもご自分の健康を大切に、毎日心穏やかに過ごせることを祈っています!
読んでいただきありがとうございました(*゚▽゚)ノ
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